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考え方を考える

by Azusa Yamamoto

昨年のいつごろからだったか、『まち暮らし不動産』という、およそ不動産屋さんらしくない不動産屋の、週に一度の“作戦会ギ”に参加している。

「まちに暮らす」とか「共に住まう」ということを、真剣に考えている人たちで……なんて説明をしようとすればするほど、この人たちは遠ざかってしまうような気がする。

ただ、はっきりしているのは、この人たちとの「考える時間」がとてつもなく楽しい、ということだ。
不安どころか、自らモクモクもやもやする未知の世界へ飛び込んで行くような。もちろん、飛び込んだところで雲散霧消! とは決してならない。そこがおもしろい。
もやもやにじっくりと浸かる、アタマに手ぬぐいをのっけて。


言葉、って時にすごく不自由だ。
名前やカテゴリーが付けられたとたんに、急にかしこまって、
「あんたなんかと同じにされたらたまったもんじゃないわ」なんて顔をし出す。

そして、そんな気まぐれでワガママな言葉を使う人というのも、あたらしくて自由そうに見えて実は無神経にまき散らす場合が少なくないものだから、たまったものじゃない(横文字や固有名詞を並べられるのが苦手なのは、こういうことかもしれない)

『まち暮らし不動産』の人たちは、そういう言葉のやっかいさをよく知っている。だからそれはそれは慎重に、言葉と意味の関係に向き合う。

「まちづくり」や「まちおこし」という言葉が、いろんな性格となり、それに尾ひれがくっついて、勝手気ままなふるまいをしているなぁと、このごろ思っていたんだけど、この、週に一度の作戦会ギによって、“なんだか”腑に落ちた。
要するに、みんながよく意味を考えずに勝手気ままに使うせいで、言葉が陳腐化してしまっているんだ。
ごめんよ、言葉たち。

彼女ら(シノブさんとシノハラさんとオギノチャンという人たち)は、この「なんだか」を言葉にしようとしている。

そして生み出した言葉が陳腐化し、受け入れられないものにならぬよう、やわらかく思考を重ねている。

***

ついこのあいだ、『まち暮らし不動産』でカレンダーを1000部つくることになり、家内制手工業よろしく1000枚の紙を折り曲げ、1000枚のカレンダーを袋に詰める、ということをやった(いつの間にかこんな仕事をしているところも、不動産屋らしからぬ不動産屋な理由のひとつ)

単純作業は大好きだ。わたしたちが「ひみつ事務所」と呼ぶ事務所の奥でパソコンを叩くシノブさんに、勇気を出してこんな提案をしてみた。

「『男はつらいよ』を観ながら仕事をしてもいいですか?」


というわけで、シノブさんと二人で『男はつらいよ 旅と女と寅次郎』を観ながら、カレンダーの封詰め作業をすることになった。

大好きなイントロが耳に入ってきたことで、わたしはうれしくなり俄然勇気づきもし、せっせと仕事にはげんだ。

都はるみ演じる、失踪中の演歌歌手・京はるみが新潟県は佐渡島で寅さんとひとときを過ごし……なんていうストーリーを、「柴又に帰ってきてからの寅さんの語り! これがさいこーなんすよ」とか、「来るぞ! ここでタコ社長の余計な一言!」なんて言い合いながら、ときに切ないシーンに手を止めて見入ったりして、停滞する寅次郎の恋模様にはおかまいなしに、カレンダーを仕上げていった。

***

映画鑑賞のおかげもあってか、無事にカレンダーの納品も済み、阿佐ヶ谷の酒場で乾杯したとき、こんな話になった。

「こういう酒場でさ、昔だったらその辺の人が言い争いして、『オモテ出ろぃ!』なんてことになるよね」

これはつまり、葛飾柴又の『とらや』に寅さんが帰ってきて巻き起こる騒動(というかケンカして大暴れ、という流れ)からの話題。

「オモテ出ろぃ!」の人がいて、「おぅ! のぞむところよ!」なんて売られたケンカを律儀に買う人がいて、そこに「お兄ちゃんやめて!」と妹・桜みたいな間に入る人がいて……という場面を想像する。


すごく乱暴かもしれないけれど、こういうめんどくさいことを「またはじまった、しょうがないわねぇ」と引き受けられる人が、桜という存在なんじゃないか。
桜って、寅次郎やおいちゃん、タコ社長たちの思いや怒り、悲しみを受け止められる器としての存在なんじゃないか。

集団のなかに入っていくとき、得意なことや役割を最初から求められることが多いけれど、そもそも、存在に役割や目的は必要なくって、人の集まりのなかでできていくものだよね。

「わたしこれができます!」というものがないと、門をたたけない状態っていうのは、「役割のかつあげ状態」である。

——なんてことを、日本酒片手に語り合った(あたしゃ明日きっと覚えてないだろうからさ、とメモを取っていた昨日のわたし、ありがとう!)。

***

人の集まりはしんどいこともある。それこそめんどくさいだらけだ。

だけど、めんどくさいからと避けていては、たとえば「オモテ出ろぃ!」から生まれる、無茶苦茶やったあとで全員がすっきりした顔している、までいかない。

今は、こういったコミュニケーションをする人のことを「なんちゃら障害」とか「なになに症候群」と呼んだりするものだから、みんなが避けるようになっていく。

「ほんとにあの人はもう、しょうがないねぇ」を、考え方のスタートにしたらいいのに。
「しょうがない」とか「バカだねぇ」の意味について、もっともっと話し合ったらいいのに。


考えることをあきらめない、言葉にすることをあきらめない。
あぁ、問答は楽し!


Azusa Yamamoto
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